たけうちこどもクリニック

takeuchicl.exblog.jp ブログトップ

第128回 42.195

e0248111_05315144.jpg
(今週の写真:無題 )


空を覆った灰色の雲の隙間からのぞく陽はすでに傾き、
辺りは夕方の様相を帯びはじめていた。

「あと2km!がんばれ!」
長い上り坂を足を引きずりながら
ゴールのあるスタジアムの敷地にたどり着いた時、
残りの距離を告げる声が耳に届いた。
「ここからまだ2kmもあるのか」
それは彼にとっては遥かなものに感じられた。

思えば心配していた雨は時折パラパラと体を濡らした程度で、
一時は冷え込んだものの
おおむね曇りのそれほど悪くないコンディションだった。

ここまで、40km余りを走ってきた。
25kmあたりまでは、むしろ調子よく感じられた。
しかしそこを過ぎてからというもの、
彼は急にその速度を失っていったのだった。

すでに足は、全く上がらなくなっていた。
身体中が、痛かった。
そのために少しの段差でさえも超えることが難しく、
上り坂となると、絶望的だった。
遅々として、進まない。
それでも体を前に倒して足を交互に前に運ぶ。
「一歩、また一歩」
それだけを、彼は思った。

ゴール間近、延々と続く最後の登りは、もはや限界だった。
腰は折れ、下を向く顔が苦痛に歪む。
汗を吸いきった衣服から立ち上る生臭い匂いが鼻をつく。
必死で腕を振るが歩幅は小さくすり足で、全く奇異な生き物のようだった。
いや、走っているつもりだったのは、彼だけだったかもしれない。
歩いている選手にも、次々に抜かれていった。
「ハァ、ハァ、」
絞り出るような喘ぎ声を、止めることはできない。
周囲の声援ももはや、残酷な命令にしか思えなくなっていた。

「こんなはずじゃ…」
残り時間と距離を考えれば、十分に間に合うはずだった。
むしろ前回よりもいいタイムになるとさえ思っていたのだから。
「あと3分!まだ間に合う」
大会が終わりに近づいていることを知らせる声が無情に響く。
しかし、ゲート入り口はなかなか見えてこない。
「無理だ… 間に合うわけ、ない」
しかし、彼は走ろうとするのをやめなかった。
ビッコをひきながら、足を前に運ぶ。

暗いゲートをくぐると、明るい光の中に観客席に囲まれた競技場が姿を現した。
スタートの時にも見た大きな電光掲示板が正面に映る。
そこに示されたタイムは、ちょうど6時間を回ったところだった。

絶望… 悔しさ… 情けなさ…
「この時の彼の気持ちを表す言葉を選びなさい」
そんな国語の問題があったら、
正解はこういった言葉になるのかもしれない。
サングラスの向こうの彼の目に、涙が滲む。

トラックを行く選手たちは諦めた表情で歩くものもいたが、
それでも彼は、制限時間を過ぎた今も、最後まで歩こうとはしなかった。
すでに大半は帰ってしまって閑散とした観客席から「がんばれーっ」と声が飛ぶ。
苦痛に顔を歪めながら、彼はゴールゲートをくぐった。
42.195kmを示すそこに、喜びはなかった。

そのままトラックの隅に座り込んだ彼は、
両膝の間に顔を埋め、動くことができなかった。
周りでは閉会式を告げる声が無残に響き、
ゴール周辺でもすぐに撤収作業が始まっていた。
彼は、いつまでも顔を伏せたまま、体を震わせていた。



++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
たけうちこどもクリニック

パソコン用:http://www.takeuchi-cl.org/
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

[PR]
by takeuchi-cl | 2015-12-14 09:00
line

   タケウチマサトモ


by takeuchi-cl
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite