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第149回 夏目漱石『三四郎』

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GW(ゴールデンウィーク)の終わりに博多に行った。研修会のためである。新幹線を使って片道六時間の長旅だ。既に読み終えていた夏目漱石の『三四郎』を車内でまた読んだ。これで三回目になる。

『三四郎』は明治41年(1908年)に朝日新聞に連載された。100年以上経つ今もなお読み継がれる青春小説の古典。これが今読んでも面白い。簡潔な文から生まれるリズム。洗練された言葉遣い。細やかな描写。印象的な言い回し。古典は読みにくいのが相場だが、漱石のは圧倒的に読みやすい。

九州の田舎から上京した三四郎は、広田先生や野々宮さん、与次郎らと関わる学問の世界と、都会的な女性、美禰子のいる世界とに心惹かれる。登場人物が交錯する物語の筋には、はっきり描かれないままに放り出されたところがある。そこが却って余韻を残す。「アフラ、ベーン」の「オルーノウコウ」。「ダーター、ファブラ」と「ハイドリオタフヒア」。「時代錯誤(アナクロニズム)」に「浪漫的(ロマンチック)アイロニー」。「ヘリオトロープ」。「迷える子(ストレイシープ)」。幾つもの言葉と描かれる場面が美しい印象を湛える。美禰子の三四郎への態度は判然としないまま、他の男性と縁談が纏まる。別れの場面で美禰子がいう。「われは我が咎(とが)を知る。我が罪は常に我が前にあり」。その言葉に三四郎への思いを知る。終局、画工によって描かれた美禰子の画を前に三四郎はただ口の中で繰り返す。ストレイシープ、ストレイシープ。

本は繰り返し読むと細部が見えてくる。気がつかなかったことに気がつく。気にならなかったところが気になる。だから面白い。だがこういう読み方は贅沢なことかもしれない。本は巷間に溢れている。一冊に時間をかけていては読み切れない。だからいかに短時間で読むかが持て囃される。人生のうちで読むことができる本は限られている。何しろ全ては読めないのだから。その点で読書は人付き合いと似る。いかに多くの人と付き合うかより、大切な人とじっくり付き合いたい。本も同じである。繰り返し読みたい本に出会えることは幸いだ。


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by takeuchi-cl | 2016-05-09 09:00
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